遺跡ギャラリー

No.019 聚楽第跡

 

大きな自然石を用いた野面(のづら)積みの壮大な石垣を約32mにわたって検出しました。
石垣と地山の間には、礫を用いた丁寧な裏込めが見られます。石垣の傾斜角度は約55度で、比較的緩やかです。
 
名 称

聚楽第跡(じゅらくだいあと)

時 代
安土桃山時代(16世紀末)
調査年
1991・2012
所在地
1991年:京都市上京区大宮中立売通下ル
2012年:京都市上京区上長者町通裏門東入須浜町
コメント
 聚楽第は、天正13(1585)年に関白に就任して天下人となった豊臣秀吉が京都における政庁、居所として造営を計画し、天正15(1587)年に完成しました。絢爛豪華な聚楽第の様子は、『聚楽第図屏風』(三井記念美術館所蔵)などにみられます。以後、秀吉から関白を譲られた甥の秀次に受け継がれますが、二人の関係悪化により秀次が自害させられ、聚楽第は文禄4(1595)年に秀吉によって徹底的に破却されて幻の城となってしまいました。
 1991年の調査では、本丸東濠が見つかり、大量の金箔瓦が出土しました。これらの瓦は国の重要文化財に指定されています。2012年の調査では、本丸南辺の石垣を長さ32mにわたって検出しました。石垣は、一辺0.7~1mの大きな自然石を整美に積み上げた野面(のづら)積みの石垣です。石垣の残存高は最大2.3mで、3~4段の石積が残存しています。石垣の傾斜角度は約55度と緩やかです。裏込めには栗石を密に充填しています。同じ時期に秀吉が造った大坂城の石垣と共通性があり、当時の高い技術が用いられた石垣です。
備 考
『京都府遺跡調査概報』第54冊 1993、『京都府遺跡調査報告集』第156冊 2013