遺跡ギャラリー

No.024 園部城跡

 

本丸の北半部の調査地です。
幕末の修築時に埋められたと考えられる空堀が見つかりました。この空堀には、土橋が設けられています。
本丸北半部の石組み溝です。本丸内はこのような溝で区割りされていたようです。
本丸南半部の調査地です。T字形にのびる石組み溝は西と南に向かって低くなっており、本丸外周の内堀へ排水していました。
 
名 称

園部城跡(そのべじょうあと)

時 代
江戸時代(17~19世紀)
調査年
1981年、1987年、1995年、2004年、2005年、2010年
所在地
京都府南丹市園部町小桜
コメント
 園部城は、但馬国出石から丹波国園部に移封された小出吉親によって、元和5(1619)年から元和7(1621)年にかけて築城されました。以後、幕末まで約250年にわたって、園部藩主小出氏10代の居城となりました。幕末に修築が認められ、慶応4(明治元、1868)年から翌年にかけて現存する櫓門や巽櫓などが建てられたと言われます。
 本丸部分では、築城時の元和年間に掘削され、幕末の修築時に埋められたと考えられる東西方向の空堀が見つかりました。これにより、現状では同一の平坦地となっている本丸部分が、江戸時代には南北2か所の曲輪に分かれていたことが判明しました。江戸時代に作られたと考えられる絵図にもこの空堀は描かれていません。この空堀は今まで知られていなかった遺構で、園部城を考えるうえで、重要な手掛かりとなる遺構と言えましょう。このほか、本丸部分では礎石建物跡や塀跡、石組溝なども見つかっています。また、金製目貫なども出土しています。なお、本丸造成時に削平された古墳時代中期の方墳2基が見つかっており、小桜古墳群と呼ばれています。
 堀跡の調査では、肥前磁器の鍋島染付皿片が出土しています。肥前鍋島藩直営の窯で生産された特別な焼物で、府北部では唯一の出土例です。武家屋敷跡では、生活を物語る陶磁器類がたくさん出土しています。
備 考
『京都府遺跡調査概報』第4・28・70・119冊 1982~2006、『京都府遺跡調査報告集』第152冊 2012