遺跡ギャラリー

No.007 エノク経塚

 

塚の平地側には、人頭大の石が壇状に組まれていました。
盛り土を除去すると、塚の中には4基の経塚が埋まっていました。
経塚の口は、人頭大よりもやや小さい石で蓋をされていました。
石を除けると、経塚の本体があります。写真左の経塚は、穴の底に平たい石を置き、須恵器の甕を伏せて置いていました。
横穴の奥深くに越前焼の三耳壺が納められています。壺が倒れないように周囲を石で固定しています。
 
名 称

エノク経塚(えのくきょうつか)

時 代
中世(12世紀中葉~13世紀中葉)
調査年
2000年
所在地
京都府宮津市須津山田
コメント
 エノク経塚は丘陵の先端部に作られていました。3.5×5mの楕円形の範囲に、高さ40cm弱の盛り土がなされて塚となっています。盛り土の下には、4基の経塚が埋められていました。経塚は、まず、縦方向に穴を掘り、それから横方向に穴を穿ち、横穴の中に土器が納めます。横穴の口は、人頭大よりもやや小さい石を集め置いて蓋をしています。4基の経塚は、須恵器甕が3基、越前焼の三耳壺1基が、お経を納める容器として埋納されていましたが、内部からは、お経は見つかりませんでした。
備 考
『京都府遺跡調査概報』 第98冊